このブログはアクセス解析結果を見ることができる。 とはいっても1日の訪問者数を見る程度のものだけど、一応サボらずになんかかんか書いていればそれなりの人数は読みにくるらしい。 サボると誰もこない。
サボっていても数人は来訪しているようだが、Indexやrdfへのアクセス。 きっとrobotだろうし、生身の人間じゃあないんだろう。
少し前にGiocityや魔法のiランドなどの流行で日記や詩を書く人が増え、今はブログの流行であれこれの文章を書く人がよりいっそう増えた。 若い世代では携帯電話でWEBを見ることが多いらしく、携帯小説なんてものまで出版されるようになった。
ところで、携帯小説の内容や文章はあまりに稚拙で、面白くないという意見がある。
大抵そういう場合には著者の力量不足に話が落ちてゆくのだが、そうなのか?
著者といっても、ほとんどは素人だ。 本人たちは、あわよくば・・・とは思いつつも、ハナから売れるようになどとは思っていないのではないかと思う。 売れる本をしっかり書ける自信があれば、普通の文学賞に応募するだろうし、ちまちまと携帯電話に打ち込まないだろう。
なんとなく書いてしまった・・・というくらいの気持ちだろう。 それをどこかの編集者がサルベージして出版する。 元の文章のまま、何の手も加えず。 素人の文章そのままなので、どうしたって質は良くないだろう。 第三者の書籍を作るという視点で切磋琢磨されたわけでもなし、仕方ない。
出版された携帯小説を批難するなら、その編集者を批難するべきだろう。 マスターベーションを公に出版して、しかも何の編集も加えずに、素のまま出版しているのは編集者だ。
右から左にTEXTデータを転送するだけの仕事で給料をもらい、ワタクシは文学を担っておりますと厚顔無恥な編集者がうようよし、その二匹目の泥鰌を狙うより知恵遅れの編集者たちが、携帯小説に暑苦しい視線を送っている。
モノ書き職業人などは、仕事としては相当に低い身分の仕事なのに、なぜだか一般人はモノ書きをありあたがる。 書いたモノがすばらしければ、それも良いだろうが、何を書いてもそれが出版になっているだけでありがたがられ、編集者本人は、俺は文をしっているとふんぞり返る。
編集者というのは、他人の書いたものを読み、文字数と文字の間違いを指摘するだけで成り立つ。 能力としてみれば、小学校の国語の先生でもできる仕事だ。 国語の先生はそんなにありがたいか?
新聞記者も編集者もあまり上等な仕事ではないので、あまり持ち上げないほうがいい。
有史、諍いと戦争が実行された精神的原因のほとんどはマスコミなのだから、戦争をしたくなければ、モノ書きを持ち上げないほうがいい。
Clasp

